ヒナタノオト工芸帖

日本橋小舟町の工芸ギャラリー・ショップ「ヒナタノオト」の作品ノオト

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私的ハンマースホイ鑑賞記

なんだかいい映画をひとりで堪能して電車に乗って帰ってきました、
という感じです。いま。

3回目のハンマースホイ展へ

bana1

新日曜美術館での放映も終わったからでしょうか。
とても賑わった会場で、どこかよそよそしくなったような不思議な感覚で絵と再会してきました。

:::

二か所の美術館でハマスホイの絵の前に立つ。
およそ百年前を生きた人の絵だというのに、時代の垣根を感じない。
耳を澄ませばどこか遠くの方で奏でられている旋律を、
拾えるようで引き寄せられないその距離感が、一層絵の前を立ち去りがたくする。
夏と冬の異なる日差し。そのどちらをもはらんだ、穏やかだけれど一徹な光。
静かな奥行きのある絵を前にして、ふたりも黙って絵を味わった。


北欧の和み 「ハマスホイの部屋」より)

今日は、文中「ふたり」の相方?健司さんのスライドレクチャーでしたから、
楽しみに出かけていきました。
ほぼ満席の聴講者を前に話す健司さんの声を聞きながら、
初めて会った日、コペンで過ごした時間が蘇ってきました。

美術館を出て薄闇の中を歩き、こぢんまりとしたカフェに入った。
あたたかみのある灯りのもと、デンマークビールを片手にひとりの画家の絵について語り出す。
そしていつしか絵を超えて、その画家の人生についてまで思いを巡らしていった。
あの室内で綴られた彼と妻イーダの時間。
日々そこに流れ、沈んでいった光。その光を追って、
今デンマークに暮らす目の前の人の言葉が、キャンドルの灯りのもとに積まれていく。
日本語の文献もなく、研究者も少ないハマスホイを追う異国での学問。
「光が見えない迷路をさまよってしまわないの? 」
酔いにまかせたそんな問いに、 「そういう時は、絵に会いにいくから」
少し俯いて答えが返った。


(同上)

ハマスホイがハンマースホイと呼ばれるようになって、私でさえ
この絵がこんなにたくさんの人に何かを感じさせていることに驚いているのだから、
異国で黙々と、日本ではまったく無名であった画家の研究を深めていた健司さんは
どれほど不思議な気持ちなことでしょう。

でも、だからこそ、その研究の時間はかけがえのない尊いものなのでしょうね。
誰に言われたのでもない、自らの磁石で寄っていった対象に、
なんのあてもなく没頭することができた時間。

ハマスホイ、そして健司さんを通して、私もたくさんのえがたい思いを与えられた気がします。

:::

あらためて思ったこと。

ハマスホイの絵に描かれた闇色と余白。

デンマークの、それも冬の闇色。
小さな町の小さな宿を、闇に紛れて捜し歩いた夕べ。
心もとなさと共に、なんだろう、なんの怖さも感じない、
どこか不思議な安らぎさえ覚えた闇。
屋外でも感じたある種「ここちよい」闇が、
室内ではいっそう心静まる空間だったこと。
風を渡らせるように作られた日本の家屋と違って、
壁が多く、小さな二重窓で構成された機密性の高いデンマークの室内の、
こっくりと留まった空気感。

そんな闇に対して、白い壁に白い天井、そして扉。
窓から注ぐ光の束。
それらが与えてくれる室内の余白。

ハマスホイの絵とデンマークで過ごした時間が重なりあって、
これが日本でのことなのだろうかと、どこか異次元に迷い込んだような気持ちのままに、
上野を後にして電車の乗り込みました。

:::

冒頭に書いたように、よかった映画を見たあとの幸福感に包まれながら、
実はひとつ物足りない感じが残ってもいました。。
それは、ほのぐらい空間で、蝋燭を囲んで静かにハマスホイの絵について
言葉を交わしたかったこと。グラスを傾けながら。。。
今日は健司さんは忙しそうだったけれど、そうだ、今度はそんな時間をヒナタノオトで作りたい、
そんな風に思いました。健司さんを囲んで。
ただ、画家やその絵について言葉を交わす時間。
それもひとつのヒュッゲな時間でしょう。

ハマスホイを巡るヒュッゲな夕べ。
いつかきっといたしましょう。
・・・後日行いましたよ!→ 

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