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ヒナタノオト工芸帖

日本橋小舟町の工芸ギャラリー・ショップ「ヒナタノオト」の作品ノオト

つくる人へ

加護園さんの作品展が終了しました。
たくさんのご来廊、ほんとうにありがとうございました。

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今回で、印象に残ったことのひとつ。
若い作り手の方が幾人もいらしてくださったこと。

加護さんと面識があるわけでもなく、ただ、その仕事をきちんとみたい、
と来てくださったかたたち。
どのように知られたのかは、すべてわかりませんけれど、
そういう方が多かったです。
じっくりと選ばれて、大切そうに作品を抱えて帰られるときに、
「いい仕事を傍らにおいて、自分の励みにしようと思います。。。」
そんな風に、おっしゃる方が、幾人もいらしたことが、心に残りました。

そんなこんなで、日ごろから思っていたことを、あらためて考える機会を得ました。
私とホンマが小さな(私は背が大きいですけれど)場所で出来ること。
やっていきたいこと。
ちょっと長くなりますし、シチメンドクサイこと考えたくない、という方も多いと思いますし、
まあ、加護さんとそのお仕事に惹かれた作り手へのラブレターのようなものなので、
以下は続きに記しました。。。

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この仕事を長くやっていると、工芸、手仕事のものにも、流行とまではいかなくても、
あきらかな流れを感じることがあります。
いっとき、シンプル志向が強くなって、なんでもシンプルであれば、すてき、
みたいな風潮もありましたね。
確かに、余計な加飾は不必要だし、「てづくりのぬくもり」の押し付けみたいなものの、
揺り返しで、シンプルなものに心が傾いたと思います。
(じっさい、私も好きですけれど)

けれど、最近、それもきわまって、素材や技術も、「シンプル」というよりは、
「安易」なものが増えたような気もします。
写真栄えはいいとか、スタイリングすると決まる、というような。
工芸は展示台の上のものではなくて、身近な暮らしの中にあるもの。
という考えには同感ですけれど、「身近な暮らし」って、何を基準にしているのか、、
考えてみれば、あいまいですね。

それは、ひとつの真理でもあるようだけれど、
なんだか、そのあいまいなものに乗っかっていると、作り手や紹介者である私たちは、
違った方向へ行ってしまうような気もします。

たとえば、どんなに良心的な価格をつけても、作家が作り出すものは、
量産品より高額なものになってしまいます。
そういうものを、簡単に「身近な暮らし」に使ってもらえるでしょうか?

いえいえ、シンプルなものに見えても、作家さんは、こんなに苦労してがんばって
作っているのだから、なんて言い出せば、それはもう、お涙ちょうだいですね。
ものとしてその価格がつりあっていない限り、継続して求めてはもらえないでしょう。

「つりあう」
部分を、私たち紹介者は適正な(であろうと思われる)ところに定める目を
育てなければいけないですね。
安いことはお客様にはいいことですけれど、作り手を締めてしまい、
結局作り続けていけなくしてしまう。
高いことは作家には良さそうだけれど、お客様をうんと狭めてしまう。

よき仕事が健やかに続けられて、それを「身近な暮らし」に喜んで使う方がいて。
その循環のバランスが良く取れるようにある役割が私たち紹介者なのかもしれません。
(ある種の微生物みたい!)

こんなに大量生産の世の中で、純粋芸術ではなく、
用の美ともいえる工芸を、自らの手で作ろうとする人たち。
わたし、自分を冷まして、覚まして、みてみても、やっぱりこれが好き、
こういうものがあって、幸せだな、と思える「もの」があるのです。
それらを作る人の仕事を、適正に伝えることをしたい、
そうあらためて、思うのです。

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加護さんの展覧会は、イベントをしたわけでもなく、
作品の展示販売という直球な展覧会でしたし、
けっしてシンプルで「身近な暮らし」を想っての作品ではないものだから、
ヒナタノオトでちゃんとお伝えできるだろうかと不安がなかったといえばウソになりますが、
楽日を終えて、こんなにちゃんと伝わっていくのだ、という
(それは、何よりも加護さんの作品が素晴らしいということに尽きるのですが)
不思議な喜びに包まれたのでした。

作り手の持った創造の泉。
その手を生かして、誰かの暮らしの中の喜びにかえていく。
それは、遠く深い道のりなのでしょうけれど、その過程にからしか、
果実は生まれないような気がしています。

また、日々もくもくと作る生活に帰っていった加護さん。
そして、その仕事を励みに、、と想われた作り手のかたたち。
これからも、どうぞ、よき仕事を。。。
その中で生まれてきたものを、心から待っているひと。
ほんとうに、いるのですから。

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