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ヒナタノオト工芸帖

日本橋小舟町の工芸ギャラリー・ショップ「ヒナタノオト」の作品ノオト

「失われた手仕事の思想」 をめぐって

いくつかのテーマが絡まって、読みづらい私の文章です。
病み上がりのせい?とおゆるしのほどを。。

ushina


聞き書きを文章にするこの作者の文章を読みたいと思って、この本を入手していました。
今、鴨川の家では、夫N氏が昨年も渡ったトカラ列島での
古老の聞き取りテープを文字に起こしています。
80代後半のジイの力漲る声を起こしながら、その声の脈の中に、何を読み、
見て、書き込んでいくのでしょうか。
そんなことを思っていた時、この作者に出会いました。

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38度以上の熱は、さすがに堪えますね。
なんとか7度を下回って、ぼおっとながら読書をつらつらしていました。
熱気の頭には、かなりの専門用語が出てくるので、じっくり読みこむことはあきらめて、
斜めに読んで。。
けれど、ところどころ、懐かしい気配が立ち上がってくるのは、熱のせいばかりではなく。


わたしの生家は建具屋で、子どものころから職人さんに囲まれて育ちました。
人見知りをしなかったわたしは、トラックの助手席に乗ってどこへでも
ついていっては、現場で遊んで。
家づくりも建具屋が入る頃は、概ね施工も終盤でしたが、
それでも大工さんや左官屋さん(しゃかんやさんと呼んでいました)にも、
かわいがってもらいました。
(今、思えば迷惑だったことでしょう。。けれど、子どもながらにも入ってはいけない区域は
ちゃんとわかったものでした)


そういえば、住み込みの「見習いのお兄ちゃん」もいましたっけ。
当時、サッシは木製で、ガラスはパテづけが主流。(と言ってもわからない人が多いかな)
職人さんが失敗した欄間(らんま)用の彫った鶴やら花、
あまった襖紙の模様もうれしく、喜んでもらってはそれらで遊んでいました。
父の年の離れた弟や、母の甥も手職をつけるために、
「見習いのお兄ちゃん」となって住み込んでいたことがありました。


一方、母方の祖父はかざり職人(かざりは、金へんに芳と書きます)といって、
屋根などの化粧板金を作る腕の良い職人でした。
やはり伯父が同じ仕事について、手の仕事は受け継がれていきました。
仕事場と住まいは隣り合っていて、
木や土、金属や紙が、手の仕事と結びついて、毎日の中にあったこと。
大きな時間軸の中で見ればほんの30年前まで、わたしの周りの空気だったのに、
すっかり忘れていたことに、驚きながら、本を読み進めました。


わたしが中学生になったころから、遊び場だった空地には、
新興住宅街となって建売住宅がどんどんできて、家々には規格もののドアや
アルミサッシがあふれました。
それを納める仕事に特化した父の商売は羽振りがよくなって、
新しい家を建て、大きな車がやってきて、それに比例して家の中の空気は
冷やかに変わっていきました。

規格品の釣り込み仕事が増えて職人さんたちは大忙しでしたけれど、
欄間や木製建具の仕事はうんと減り、時々受ける料亭や田舎の素封家の
建具くらいしか腕を奮う機会は減っていきました。
長い年月をかけて身につける技術をうけつぐ若い職人は必要にならなっかたし、
また、働く側も3Kのような仕事に積極的に就こうという若い人が少なくなっていきました。
「見習いのお兄ちゃん」が住み込むこともなくなって。


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野鍛冶、屋根葺き、炭焼き、船大工、イタヤ細工、櫓・櫂職人、石工・・・
「消えた職人たち」と題された章に書かれた仕事。
素材、徒弟制度、手の記憶、、について書かれた章。

それぞれに丁寧な取材に基づいて書かれた文章は、厚みがある。
元気になった頭で、あらためて読もうと思う。

けれど、この書。
最後の一文で、わたしの気持はどうにも落ち着かなくなってしまったのである。

「手仕事の時代は終わったのだ。」

こう締められたこの本が出版されたのが、2001年9月。
そのとき、わたしは、第一回目の工房からの風の準備にまっすぐだった。

「新鮮な作り手たちは、時代の中で果実のように生まれてきます。」
と、いう紡ぎだした言葉を心に掲げて。。。

N氏の聞き書きからへの関心から始まった本読みだったけれど、
まったく未知数の展覧会を始めようとしていた自分の時間軸、
そして、今、私の周りに灯るようにいてくれる手仕事の人たちのことを思いながら、
この本、落ち着いて、ゆっくり読み返さなければ。。。という感じなのです。。

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