ヒナタノオト工芸帖

日本橋小舟町の工芸ギャラリー・ショップ「ヒナタノオト」の作品ノオト

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伴走者

午前中、待ちに待った時間。
取りかかっているデンマークの本に、「編集」として新たに加わってくださったWさんとの、
この件についての初めてのミーティング。
書くのは進めたつもりでも、かなり行き詰ってもいて、誰かに風を渡してもらわなければ、
これはいいものにならないな、と実感していた。
出版社の方のご配慮でWさんに伴走をしていただくことに。

原稿を読んでくださって、その上でお引受けくださったことが何よりうれしい。
そして、たくさん、たくさん、お話をしましょうと。
的確な指摘と、あたたかな想い。
よき伴走者を得たよろこびに、さっそく原稿を進めたくなる。

:::

種類は違うから具体的な動きも異なるけれど、
わたしの工芸での仕事は、「編集者」のようなニュアンスもある。
みんなの伴走者にはなれないけれど、少なくとも誰かの伴走者にはなりたいと思っている。
そうなりたくて、自分の場所をもったのかもしれない。
Wさんの「編集者」のお仕事に触れて、原稿だけではないことも、学ぶ予感がしている。

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船、山にのぼる

fune


年末の風の強い日。
少ないお客様の日に、ひとりの男性の方がいらっしゃいました。
私は、机で仕事を。
ホンマユミコが応対をしていました。

聞くともなく聞こえてきた会話では、なにやらフライヤーを置いてほしいというお申し出。
それに対してホンマユミコの応えがふるって?いました。

「わたしが見ていないものを、お客様にはご紹介できないです。。」と。
それに応じたその男性の応えもすばらしく
「それは、ごもっともです!」と。

なんとまあ、まじめで誠実なふたりの会話。
とりあえず預かっておこうとか、とりあえず置いてもらおう、という世界とは遠く。。。

お帰りになられたあと、ホンマユミコが私に見せてくれたフライヤー。
これが、この映画「船、山にのぼる」、でした。

フライヤーを見て、惹かれました。
単館系の映画が見たくなってはチェックする、ユーロスペースで公開ではありませんか!
そして、この映画の舞台となる場所。
広島県の山間部、吉舎(きさ)という村の名前に、驚いて。。。
父の里のほぼ隣村。
遠縁のものも住んでいるところなのです。
地図で見れば点のようなこの場所の空気が、すうっと伝わってくるような写真が、
そのフライヤーに使われていました。
広島弁もなつかしく思いだされて。。。

ダムに沈む村の木を使って、住民たちと船を作る。
その船を水を張ったダムに浮かべて・・・・。
長い歳月をかけて進められた営みを、どのように映画にされたのでしょうか。。
ぜひ、見てみたい、と思いました。

歩く誠実印!?のホンマユミコは、寝込んでいるわたしをよそ(笑)に、
ちゃんと試写会に出かけてきました。
とおーっても感動したそうです。
これで、胸をはって?お客様にフライヤーをお配りできると、喜んでおりました。はい。

そのフライヤーを持ってこられた、くだんの男性。
なんと、この映画の監督さん、だったのです。
監督自ら、このようにPRに努めていらっしゃることにも、心打たれました。
自分の仕事に愛情を持っている人は多いでしょうけれど、
こんな風にはなかなか実践できないものです。
なんだか、勇気のようなものももらった気がしたのでした。

船、山にのぼる」は、ユーロスペースにて、4月5日(土)よりレイトショー公開。
12、13、19、20の4日間(土、日)は、朝9:45からの回もあるそうです。

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金曜その2

取材が2件

リベラル社さんは、名古屋の出版社さんで、愛知版の「雑貨屋さんぽ」に次いで出される
東京版の「雑貨屋さんぽ」という単行本。


zakkasanpo


表紙もなんともかわいいですね。
東京は何色???
と、しばし色のお話など。
かなり写真を撮っていらしたけれど、どんな頁になるのでしょうか。。

:::

2件目


キュートなモデルさんを含め、総勢6名でのスタジオ撮影のような展開に。。。
スタイリストさん、とってもヒナタノオトにあるものを気に入ってくださったようで、
うれしい。
(作品というより、ファッジのテイストに合うかどうかで見ていらしたので、
その目線も新鮮でした)


国府田さんのバッグ、世良さんのジュエリー、maricoさんのアクセサリーと、
キュートなモデルさんが、ヒナタノオトファッションに包まれて。。。
3月末、発売とのことですので、どうぞお楽しみに!

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金曜日その1

230208nao1


来た!

ひと昔前の中国の行商のひと?
なんだか、セーターの色が、妙に青竹色です(笑)


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N氏、買い物籠を11個作ってもってきました。
括ってあるロープは、浜辺で拾ったやつですね。見覚えが。。。

この11個でしばらく買い物籠はお休みです。
(ご注文をいただいていた分もありますので、
すべてお出しできずにすみません。。)
現在、竹垣作り(竹500本分!)をご依頼いただいているのと、
わが家の施工と、物書きタームに入るもよう。
青も清清しいうちに「ヒナタノオト出張所」でご案内しますね。
(出張所では、早くとも次回は秋になってしまいます)

ヒナタノオト。
かすかに竹のよい香り。。。

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木曜

木曜日:

夫N氏に連れられて、冬期特別講習をさせてもらった芸大の飲み会に。
行ってみれば、修士課程の追い出しコンパというではありませんか。。
いいのか、こんな場に加わって。。。???
「破顔」N氏のずうずうしさに引きずられて?編み上げブーツを脱いで、
お座敷に。。。
お店は、こぎんに続き青森づいて「みちのく料理 北畔
(油あたり?以来初めてのまともなごはんを・・)

なんとも、温かな会でした。
らふとでもお世話になった木工の渡辺さんをのぞいて、
初めてお会いする方ばかりの私には、どなたが修士過程か、博士課程か、
はたまた講師の方かわからなかったのですが、
和気藹々とフラットな関係に和やかな日々を思いました。
教授がとっても穏やかで、優しい方なのです。
権威的なものには、まったくダメなN氏が居心地がよかったわけですね。
(偶然、ヒナタノオトにいらしてくださったことのある学生さんもいて、びっくりしました!)

芸大では、木工は学部にはなくて、修士からなのだそうです。
なので、学部時代は漆をやっていたり、彫金だったり、
はたまた、他大学から入ってきた学生さんも多く。
さまざまなことを学んで、木工と出合って。。。

学んだあと。
社会に出て行く中で、職業としての「ものづくり」はやはり、難しいことなのだなぁ、
と、端っこに座ってニコニコ聞いているばかりの私でしたが、
リアルな会話に思いがあちこちに飛びました。
「ものづくり」になることがすべてではないから、それを勧めることもしませんでしたけれど、
「ものづくり」を仕事として、豊かな人生(金銭的にはともかく・・・)を得ている人に、
たくさん出会えているので、それをどんな風に伝えたらいいのかな。。
そう心の中で思いが行きつ戻りつ。。。

帰り。
久しぶりの京成電車。
独特の雰囲気も懐かしく・・。

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「失われた手仕事の思想」 をめぐって

いくつかのテーマが絡まって、読みづらい私の文章です。
病み上がりのせい?とおゆるしのほどを。。

ushina


聞き書きを文章にするこの作者の文章を読みたいと思って、この本を入手していました。
今、鴨川の家では、夫N氏が昨年も渡ったトカラ列島での
古老の聞き取りテープを文字に起こしています。
80代後半のジイの力漲る声を起こしながら、その声の脈の中に、何を読み、
見て、書き込んでいくのでしょうか。
そんなことを思っていた時、この作者に出会いました。

:::

38度以上の熱は、さすがに堪えますね。
なんとか7度を下回って、ぼおっとながら読書をつらつらしていました。
熱気の頭には、かなりの専門用語が出てくるので、じっくり読みこむことはあきらめて、
斜めに読んで。。
けれど、ところどころ、懐かしい気配が立ち上がってくるのは、熱のせいばかりではなく。


わたしの生家は建具屋で、子どものころから職人さんに囲まれて育ちました。
人見知りをしなかったわたしは、トラックの助手席に乗ってどこへでも
ついていっては、現場で遊んで。
家づくりも建具屋が入る頃は、概ね施工も終盤でしたが、
それでも大工さんや左官屋さん(しゃかんやさんと呼んでいました)にも、
かわいがってもらいました。
(今、思えば迷惑だったことでしょう。。けれど、子どもながらにも入ってはいけない区域は
ちゃんとわかったものでした)


そういえば、住み込みの「見習いのお兄ちゃん」もいましたっけ。
当時、サッシは木製で、ガラスはパテづけが主流。(と言ってもわからない人が多いかな)
職人さんが失敗した欄間(らんま)用の彫った鶴やら花、
あまった襖紙の模様もうれしく、喜んでもらってはそれらで遊んでいました。
父の年の離れた弟や、母の甥も手職をつけるために、
「見習いのお兄ちゃん」となって住み込んでいたことがありました。


一方、母方の祖父はかざり職人(かざりは、金へんに芳と書きます)といって、
屋根などの化粧板金を作る腕の良い職人でした。
やはり伯父が同じ仕事について、手の仕事は受け継がれていきました。
仕事場と住まいは隣り合っていて、
木や土、金属や紙が、手の仕事と結びついて、毎日の中にあったこと。
大きな時間軸の中で見ればほんの30年前まで、わたしの周りの空気だったのに、
すっかり忘れていたことに、驚きながら、本を読み進めました。


わたしが中学生になったころから、遊び場だった空地には、
新興住宅街となって建売住宅がどんどんできて、家々には規格もののドアや
アルミサッシがあふれました。
それを納める仕事に特化した父の商売は羽振りがよくなって、
新しい家を建て、大きな車がやってきて、それに比例して家の中の空気は
冷やかに変わっていきました。

規格品の釣り込み仕事が増えて職人さんたちは大忙しでしたけれど、
欄間や木製建具の仕事はうんと減り、時々受ける料亭や田舎の素封家の
建具くらいしか腕を奮う機会は減っていきました。
長い年月をかけて身につける技術をうけつぐ若い職人は必要にならなっかたし、
また、働く側も3Kのような仕事に積極的に就こうという若い人が少なくなっていきました。
「見習いのお兄ちゃん」が住み込むこともなくなって。


:::


野鍛冶、屋根葺き、炭焼き、船大工、イタヤ細工、櫓・櫂職人、石工・・・
「消えた職人たち」と題された章に書かれた仕事。
素材、徒弟制度、手の記憶、、について書かれた章。

それぞれに丁寧な取材に基づいて書かれた文章は、厚みがある。
元気になった頭で、あらためて読もうと思う。

けれど、この書。
最後の一文で、わたしの気持はどうにも落ち着かなくなってしまったのである。

「手仕事の時代は終わったのだ。」

こう締められたこの本が出版されたのが、2001年9月。
そのとき、わたしは、第一回目の工房からの風の準備にまっすぐだった。

「新鮮な作り手たちは、時代の中で果実のように生まれてきます。」
と、いう紡ぎだした言葉を心に掲げて。。。

N氏の聞き書きからへの関心から始まった本読みだったけれど、
まったく未知数の展覧会を始めようとしていた自分の時間軸、
そして、今、私の周りに灯るようにいてくれる手仕事の人たちのことを思いながら、
この本、落ち着いて、ゆっくり読み返さなければ。。。という感じなのです。。

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