ヒナタノオト工芸帖

日本橋小舟町の工芸ギャラリー・ショップ「ヒナタノオト」の作品ノオト

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チクチクスタイ

sutai1


スタイ、届きました。

こぎん刺しの針の森さんから。

控えめな針の森さん的には、こぎんというわけではないとのことですが、
白地に白でチクチク文様を刺してあります。
すこやかな成長を願って、chikuchiku・・・
携帯の画像では、、わかりにくくてごめんなさい。。


赤ちゃんの肌にも優しいびわこふきんの布。
sutai2

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真竹の買い物籠

記事追加しました。

・・・・・

サイズ、大としておりました私の使っているもの
(店頭で和紙の揉み紙を入れているもの)は、
特大とさせていただきます。
今回届いたものは、大と中となります。
特大は、来週制作完了予定です。

一点ずつ径や高さを微妙に変えてありますので、
店頭でお気に入りを見つけていただけましら!と思います。
         
                2/27日追記・・・・・・

:::

naote


稲垣尚友氏。
竹の買い物籠制作の佳境に入っております。


ヒナタノオトでお問い合わせいただくことが多いひとつに、
買い物籠があります。
私が4年半使った籠(手しごとを結ぶ庭に写真で写っているもの)
の大きさと、それより一回り小さなものを作っています。


お買い物には大振りがお薦め。
キャベツもまるごと入りますし、
牛乳やビールなどの重いものをいれてもへっちゃらです。
竹がしなって、重さを受け止めてくれるのですね。

でも普段のバッグとしてなら、小さい方かしら。
私の籠は、大柄な私でも、電車ではちょっとかさばる感じです。

材料は、籠に適した真竹を探して、裏山で切ってきます。
その青竹を晒さずに(今、ほとんどの産地では、苛性ソーダで油抜きをして、
最初から薄茶にしています)そのまま編みます。
ぷーんと爽やかな竹の匂いをしばらく楽しんで・・。
その後、使い込むほど、茶が艶めいて。

手のところには、ツヅラ藤を。
これも真冬に、工房から少し離れた山の北斜面を這うようにして、採集したもの。
これは、革のような艶になっていきます。

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実生

tsuku


鴨川の家。
ごめんなさい、バラの庭。
久しぶりに手を入れました。。
バラとバラの間に、土筆(つくし)。
あまりに可愛くって、抜けません。。
スギナになると、手ごわいのですが。



noba


わが家は北側に斜面があって、そこがなかなかにワイルド。
昨秋、茫々だったその崖を、夫N氏がかなり刈り込みました。
すると、どうでしょう、、、いろんな芽が新たに出てくるのですね~。
そう、実生(みしょう)です。
コトリが啄ばんだ実の種が、フンとなって地に落ちて、そこに土が被って芽吹いていく。。。

上は、ノバラですね。
初夏に白い小さな花を鈴なりにして、冬にはローズヒップもこれまた、鈴なり。

saru


これはサルトリイバラの実生。
初夏に黄緑のささやかで可憐な花をつけて、秋には堂々とした赤い実をつけます。
蔓で木々にまきつきますから、多すぎると、ちょっと困るけれど。。



momi


あ!
これは、、なんだろう。。
もみじ??
早、紅葉しています。。
どんな木に育つのかしら。。。

春。
やってきています。

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手さじ

ずっと、エントリーしようと思っていた、斉藤田鶴子さんの手さじ。

黒田維理詩集の中の「ナポリのナプキン」
を読んで、やはり、今アップしようと。


:::


手しごとを結ぶ庭
で書きました田鶴子さんと亜麻(リネン)の布との出会い。
それは、ナポリでのことだったのです。


今は夫となったアレさんの実家で、お母様が結婚したときに
持ってきたという、リネンの布と出会った田鶴子さん。
ごく日常に使うタオル、手ぬぐい、としてのその布の感触が、
田鶴子さんの布作りへの舵を切っていくこととなります。


:::


tesa

お正月にイタリアから帰国した田鶴子さんが、携えてきたリネンの作品。
なんとも美しいストールのほかに、手ぬぐいが数点。
リネンの手織り布。
手ぬぐいと思うととても安価ではありませんが、
作り手からすれば、どんなに大変なお仕事でしょう。。


「田鶴子さん、これはお仕事として見合うものなのかしら?」
仕事の重さからすると、とても採算に合わないように思えましたので、
思い切って聞いてみました。

そのとき、田鶴子さんは、沖縄の手さじのことを教えてくれたのでした。

漁に出る兄に、妹が織った布をお守りのように渡す風習。
いつも身に触れていてもらう布。
自分が織り続けていきたいのは、まさにこういう布なのだと。


弟を亡くした私には、お兄さんを亡くされた田鶴子さんの思いが
少しわかるような気がしました。
そして、そんな思いを真ん中に置いての布作りは、
汲めども尽きぬ深さと広がりのある、確かなものなのだと感じました。
作り手を思ってのこととは言え、見合う、見合わないを問いかけた
自分が恥ずかしくなりました。


お兄さんの遺された蔵書の中に、「手さじ」のことが書かれた頁を
見つけた田鶴子さん。

「手さじ」の単語には鉛筆で「たづの布のことか」
と書かれていたといいます。


岩田慶治さんの著書「からだ・こころ・たましい」

少し長いですが、田鶴子さんが打ってくれた文を、以下に写します。

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からだ・こころ・たましい
岩田慶治 著


3.たましいを持つもの
その三

沖縄の島々には、たいへん有名でひろく知られた「妹の力」についての信仰があった。
海上にでて漁をする。異郷、異国の地ではたらく。
そういう男たちが自分の女のきょうだいがこころをこめてつくった手さじ(てぬぐい)を身につけていると、どんなあらしにも船はしずまず、どのような危険をも切りぬけてぶじに故郷にかえることができるという信仰である。

一まいの手ぬぐいが男の危機をすくい、いのちをたすける。
ある意味ではおまもりを身につけるのと同じである。
前にはなしたタイのチャンパー樹の話ともつうずるところがある。
海上にでて大波にもてあそばれた時、船はいつしずむかわからない。
いのちの危機である。

そういうときにSOSを発しても、船をかるくしようとしても、ドリンク剤をのんでも、すでに手おくれなのである。
そのとき、こしにさげた手ぬぐいをとりだす。
そうすると、こころをこめてそれを織りあげてくれた姉あるいは妹のこころが、血すじのつながりがおもいうかぶ。

同じ母からうまれた姉妹が故郷で自分をおもっていてくれる。
そう気づくと、自分の身にせまった危険を、いっとき、わすれて、こころが故郷にとんでいく。
波だちさわぐ時間のなかに、一瞬の凪が見える。
海にポッカリと穴があいて、海の底のやすらぎがおとずれる。
はげしくゆれる時間のなかで、時間がとまる。

そのとまった時間を、姉妹と、そして母と共有していることを感ずる。
そう感じたとき、急に勇気がわいてくるかもしれない。
ドッと大波にのみこまれて、船もろとも海のなかにひきこまれてしまうかもしれない。
どういうことがおこったとしても、男は「妹の力」によってすくわれるのだ。

生にも、死にもかかわらない「永遠の時」を手にいれたのだ。
自分のいのちをこえる。
海の表面のようにザワザワとたちさわぐ波のいのちではなく、しずかで、どこまでも深い海の底のいのちを実感する。
永遠の時に手をふれるということが、生きることの出発点なのである。

兄弟姉妹はヘソの緒によって同じ母にむすびつけられている。
そのヘソの緒が切れてしまったあとも、兄・弟・姉・妹と母とは同じ時を共有している。
同時という深い時のなかでいっしょに生きている。

こういうかんがえをボルネオ内陸に住むドウスン族がいっている。
民族としての長い長い経験のつみ重ねの上にたって、ドウスン族の宗教的天才がいったことばである。

カチカチと一直線上をすすんで、もどることのない時間がある一方、渦巻きのようにグルグルまわりながらしだいに深まっていく時間がある。
時間の底、その根っこがある。
時間の根っこがあり、そこから誕生した時間の大波小波がある。

われわれはカチカチと切りきざまれた日常の時間のなかに生きている。
それだけではいけない。もっと深くてひろい、そして長つづきする世界にでようというのが宗教の出発点なのである。

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as it isへ

asit


ちょっと前ですが、as it isに行ってきました。

白の消息
骨壷から北園克衛まで

白、に出会いたかったのもあったし、北園克衛の名がどうしてここにあるのかも感じてきたかった。

astsu


白。
だけれど、けっして白ばかりではなく。


asit2





全身で一番感じたのは、光と影だったのかもしれません。


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some2


as it isに行く前日。
ガラス作家の広沢葉子さんから、一通の封書。
中には、一昨年亡くなられたお父様の詩集「something cool」が。

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詩人、黒田維理の「something cool」は、1958年に発行されたもの。
北園克衛が装丁を行っている。
このたび復刻された貴重なものを、葉子さんが贈ってくださったのだ。


ナポリのナプキン
コクテル・ドライ
SOMETHING COOL
甘い気体(体は旧字)
EXTRAORDINARY LITTLE DOG


詩、そして本のスタイル、すべてが、クール。
この時代に、こうクールでいることの意思に、思いを馳せた。
(葉子さんが言われるには、初版本はもっと紙の質とかすべてがすばらしかったと。。
北園克衛と詩人黒田維理との呼吸の響いた本。
いつか出会ってみたい。)


恵文社一条店の店長さんの2月15日のbolgに、
黒田維理さんのことについて触れた記述がありました。
こちら→☆


SOMETHING COOLを手にして、出かけたas it isで、
デルフトの皿や骨壷、ロマネスクの石や襤褸の布とともに、
山口信博さんの北園克衛へのオマージュに触れることができました。


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as it isの扉を開けた瞬間。
あ!
大西美雪さんと目が合いました。
こんなところで、遭遇するとは・・・。


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いつもヒナタノオトで灯しているキャンドルホルダーの作者です。


miyu1


ガラス作家の美雪さんは、葉子さんが引き合わせてくれた人。
少しお仕事をお休みしている葉子さんへ、思いを寄せた日でもありました。

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朝子さんの手に映るもの

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読書をする女性。

北海道の高橋朝子さんから、彫像が届きました。

ヒナタノオトは工芸を紹介する場所。
それは作品そのものを見ていただく場所なのですが、
本というものを通して、工芸と響いていきたい、という思いもあります。

オープンの時、本を読む彫像をぜひ、朝子さんに彫っていただきたいと思っていました。

:::

北大で生物学を修めた人は、その後、スウェーデンで木彫と出会い、学びます。
デンマークによく渡る私は、北欧の地で木の彫像が、
人々の暮らしの中で存在感を放っているのを感じていました。
朝子さんの仕事と出会ったとき。
そのエッセンスにとても通じるものを感じました。


出会ってから五年ほど経って、時間がかかりましたが、私の中で、
朝子さんの彫像が朝子さんならではのものと鮮やかに映ってきました。
それは、人間の動作、それは働くこと(糸を紡ぐ人や種を蒔く人・・・)や
思案するようす、、
それらに祈りの姿が鎮まっているのを感じたからかもしれません。


木に鑿をあてる。
一つのかたまりから、姿を掘り出していく。
おそらく、黙々とのめりこむ様に彫りだす仕事には、
作者自身が浄められていくような瞬間が待っていることと思います。
そんな一瞬との出会いが像に結ばれて、こうして私たちの目の、
手の前に、かたちになって現れるのでしょうか。


朝子さんには、じっくりよい仕事をしてもらいたいと思います。
数が作れなくても、一点一点深いものを。
人の姿。
日々の姿の中にこそひそんでいる祈りのある姿を、
これからも届けてほしいと希っています。

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atas2

季節のお雛さまも。。。

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